2003/08/31

2003.08 News

2003.08.27 ヘルバルト選手も好調!
ハロー、ファンのみんな! 随分長い間、更新しなかったね。夏の間、
家族とゆっくりして、そして冬に向けて静かに準備をしたかいからなんだ。 サマーでの結果は、思っていた通りに良い結果が残せたよ。特にプレダゾと インスブルクではとってもいいジャンプができたよ。 2003.08.17 シュワルツェンベルガー選手のサマーは上々な滑りだしのよう。。  トレーニングで良いジャンプができていたから楽観的にサマーに出場したよ。 でもいきなり団体戦のメンバーに選ばれるとは思っていなかったんだ。そして ヒンターツァルテンとクーシュベルでとってもいいジャンプができたことに驚いて いるんだ。クーシュヴェルでは風の状態が良くなかったけどね。 サマー終了後 に休暇を取って、ニューヨークにいくんだ。そこでは友人と観光とショッピングを するつもり。つまり2週間をリフレッシュのために使うんだ。

2003.08.15
サマーGPを前にラムサウで調整・テストマッチを行った複合勢。「もちろんまた 世界のトップにたてることを楽しみにしている。でもサマーに特別の期待をして いるわけではない。ここでは現在の自分たちの状況を確認するだけだ。」と クロメシェク・ヘッドコーチ。

2003.08.07
ジャンプのサマー・グランプリが9日にドイツのヒンターツァルテンで開幕する。 オーストリアは9名の選手を送りこむ。そこにはリーグルとゴルドベルガーの 名前はない。リーグルは兵役についていて、最近トレーニングを再開したところだ。 ゴルドベルガーは怪我のあと、ゆっくりではあるが回復に勉めている。A  レピステ・ヘッドコーチによるとヘルバルトの調子がいいという。「彼は夏の間、 常に安定していた。」先週のインスブルクでのトレーニングを受けて語った。 しかし試合でどうかというとレピステ氏は戸惑いをみせた。 他の国の様子の 情報は入っていないし、特にコンタクトも取っていないためだ。 とにかく レピステ氏はサマー・グランプリを「冬にむけてじっくり調整するためのものだ。」 と目標を語った。 昨年はビドヘルツルが5連勝した。「ビドヘルツルもインスブルク ではとっても安定していた。」とレピステ氏。 リーグルとゴルドベルガーが外れる かわりにサマー・コンチネンタルカップで②連勝しているロイツルが出場する。 もしかしたらリーグルはプレダッゾから、ゴルドベルガーはインスブルクでの 最終戦に出場するかもしれない。 若手のモルゲンシュテルン、ナギラー、 コッフラーらは多少の問題を抱えているという。筋力の強化がジャンプと 結びつかないらしい。スポーツ・サイエンティストとメカニック、クーティン氏 らがビデオでの解析を急いでいる。

2003/08/30

2003 Summer GP

2003.08.31 Winterberg
デニフル選手「冬に向けて不安がなくなった。なぜならジャンプが
悪くてもランで挽回できるから。」
シュテヒャー選手「作戦通りいった。でもゴールスプリントはラッキーだったけど。」
クロメシェク・ヘッドコーチ「最後はマリオの勝利で終えることができてよかった。 でもチーム自体はまだまだだ。」
1)Stecher 9)Denifl 12)Bieler 16)Zauner 17)Eugen 32)Gottwald 38)Gruber


2003.08.30 Predazzo
2)Hoellwarth 8)Morgenstern 11)Goldberger 12)Schwarzenberger 15)Thurmbichler 17)Kofler 18)Nagiler 30)Widhoelzl
2003.08.29 Kligenthal
ビーラー選手「残念ながらランでリズムをつかむことができなかった。ジャンプは もっとよくなると思う。」
オイゲン選手「結果には満足じている。ジャンプをもっとよくしたい。」
ゴットバルト選手「今の時点でジャンプ台が僕にあっていなかったかな。」
クロメシェク・ヘッドコーチ「秋にジャンプのトレーニングを集中的にやらねばならない ことがわかった。」
7)Eugen 11)Bieler 12)M.Gruber 21)Gottwald 22)Denifl 24)Sauner 43)Stecher 44)Kreiner
2003.08.
4)C.Bieler 5Denifl 13)Zauner 18)Gottwald 33)Kreiner 35)Eugen

2003.08.22 Villach
オイゲン選手「昨年の不調から、今日はいいジャンプをみせることができてとても ハッピーだ。今日のジャンプにもレースにもとても満足している。レースはI 僕ら3人とその後ろが離れ すぎていて少しつまらなかったかもしれない。 僕はできるだけ前にでて2人をひっぱったので最後は疲れてしまった。 そして3位になっていまった。」
3)Eugen 4)M.Gruber 11)Zauner 12)Gottwald 19)Denfill 20)Kreiner 27)Stecher 31)Bieler39)B.Gruber 44)Scheiber

2003.08.13 Courchevel
レピステ・ヘッドコーチ「今日は風に左右された試合だった。結果に関しては さほどきにしていない。でも1位。2位は風のおかげではなかったと思う。」
2)Morgenstern 7)Hoellwarth 21)Thurnbichler 30)Nagiler 34)Kofler 36)Widhoelzl 47)Schwarzenberger

2003.08.10 Hinterzarten
レピステ・ヘッドコーチ「風がしょっちゅう変わった。とても面白い試合だった。 風も強いし、アプローの長さも変更した。シュワルツェンベルガーの時は前から 4~5m吹いたり、後ろから1~2m吹いたりしていた。ドイツの”マイニンガー社” のスーツがどんな風に影響するかしばらく見てみたい。(ナギラー、コッフラー、 トルンビッヒラーが2本目に進めなかったが)別に心配していない。今結果を だせなくても冬に出せばいいんだ。」
1)Morgenstern 4)Hoellwarth 7)Schwarzenberger 13)Widhoelzl 32)Thurnbichler 37)Nagiller 39) Kofler

2003.08.09 Hinterzarten
レピステ・ヘッドコーチ「みんなが良いジャンプをできることはわかっていたが、 優勝については全く考えていなかった。」


1)Austria 1065(Widhoelzl ,Schwarzenberger, Hoellwarth, Morgenstern) 2003.08.07 8/9-10 Hinterzarten
Andreas Widhoelzl, Martin Hoellwarth, Thomas Morgenstern, Christian Nagiller, Andreas Kofler, Stefan Thurnbichler, Reinhard Schwarzenberger, Wolfgang Loitzl

2003/08/29

2003.08 News

2003.08.17 なぜこの男は微笑んでいるのか? - 分析(Andrew Taber)
ウルリヒは9月のヴェルタを欠場すること、ツール直前に誕生したサラ=マリアと
3週間離れていたくないことを発表した。この男のシーズンはこれで終わりなの だろうか? 今一度分析してみょう。 ツール・ド・フランス2位、ヘヴ・サイクラ シック3位、そしてチューリッヒ選手権2位、29才のドイツ人の調子は良い。 ヴェルタ出場はなくなった。となると、ウルリヒの次の目標は10月にカナダの ハミルトンで開催される世界選手権か。 「もし僕は今の調子を保てれば、 世界選手権に向けて集中する。」と語った。 ツール前、アームストロングが ウルリヒのことを「最大の脅威」と指摘しても”死んだ男”への敬意でしかないと 多くの人は思っていた。しかしウルリヒはアームストロングの言葉が正しいことを 証明した。 世界選手権ロードでの金メダルはウルリヒが手にしていない数少ない コレクションだ。ツール、ヴェルタ、オリンピック・ロード、2度のタイムトライアル 世界チャンピオン・・・ウルリヒはロードでのレインボウ・ジャージを切望しているであろう。  彼がどれほどレインボウ・ジャージが欲しいかがチューリッヒで現れていた。  ゴールまで2km。ウルリヒは独りでナルデロに猛チャージをかけた。しかしテレコ ムのイタリア人に追いつくことは出来なかった。 ウルリヒはゴールをきるとき奇妙な 行動にでた。彼は右手を挙げてゴールした。 普通思うであろうに。4度目の2位ゴール ではイライラするであろうと。かつてベルギー人のRaymond Impanisがリエージュ ~バストーニュ~リエージュで2位に4度入っている。彼はリエージュで勝つことが 結局できなかった。それに並ぶ記録だ。 これは栄誉ある記録とは言い難い。  ウルリヒは幸せだったのかもしれない。彼は確かに良いレースをした。チューリッヒ でスペシャリストたちを追いやった。そして、チューリッヒはハミルトンでの世界選手権 のコース・プロフィールと良く似ている。 彼は自分の目標‐ベーッティーニとのゴール スプリントを避けることができた。クラッシックではベッティーニが最強だ。 ボーヘルト を見てみるといい。ベッティーニとゴールスプリントにもつれた結果4位だった。

2003.08.10
"Waiting for Armstrong : Attack of ther second-Guessers" (Edward Wyatt New York Times)1984年のオリンピック3000m決勝でMary Decker とZola Budd が落車したとき誰も待とうとしなかった。2002年のベルモントでの レースででWar EmblemBuddが落車したときもライバルたちは待とうとしなかった。 しかしランス・アームストロングが最難関ピレネーステージのリュザルディダンで ファンの持っていた袋にひっかかり落車したとき、彼のライバル達はペースを落とし、 待った。アームストロングを振り落とすことも出来たのに。 自転車競技には 「暗黙のルール」というこもが存在する。例えば、レースのリーダーがパンクや 落車なのどの理由で遅れたときは待ためばならないという。解説者たちはこの 「暗黙のルール」をライバル達―15秒差で2につけていたウルリヒさえも守った ことを認めている。 しかしウルリヒたちは待ったことによりアームストロングが 集団に戻ることを許したのみならず、反撃のチャンスも与えてしまった。おそらく ツールの行方も決まってしまった。すなわちウルリヒの5回目の2位。3度目の アームストロングに次ぐ2位。 この時「ウルリヒは待つべきだったかどうか」 に ついて今でもファンの間で議論が交わされている。この時はアームストロングも ウルリヒが待ったことを認めた。2年前ピレネーのペイスルードの下りでウルリヒ が落車したときアームストロングが待ったように。 しかしレース終了後アームスト ロングがひとつの爆弾を落とした。 「私は録画を見返して、ウルリヒは待たなかった と確信している。」アームストロングはツール後にOLNに出演して語った。「みんな が(ウルリヒが待ったことは)『すばらしい話』だと感じているが、私は彼が待ったと は決して信じていない。」 OLNのインタビューで彼はタイラー・ハミルトン‐かつて USポスタルのメンバーで今はCSCのリーダー‐が制止して初めて待ったと語った。  「もし落車の1分、1分半前から映像を見ればわかるはずだ。ウルリヒはいつも 通りのポジションを取り、いつも通りの表情で前を行っていた。これが私のみた ものだ。」肩をすくめた。 ウルリヒは「もちろん僕は待った。誰かのアクシデント によってアドバンテージを得たり、レースに勝っても、そんなもの意味はない。」 とレース後語っている。 かつてのレーサー達の中にもウルリヒは待つべきでな かった、マイヨショーヌをアームストロングから奪い取るべきだったと主張する。 これはツールでの最後の山頂ゴールだからだ。 かつての全米チャンピオンJohn Eusticeは「これでウルリヒはツールを投げ出したと信じている。」 彼は現在 解説者として働いている。John Eusticeはアームストロングを待ったことにより、 ウルリヒは自分のリズムを失ったと語った。ウルリヒにとってこれは致命的だ。 アームストロングは急加速ができるがウルリヒは早いペースを保つタイプの選手だ。 「ウルリヒのとった行動は素晴らしい。でも彼にはレースを続ける権利があった。 もし私がウルリヒの監督だったら、ウルリヒを殺してしまったかもしれない。」  別の意見もある。もとオリンピック選手で現在はいくつものレースをオーガナ イズしているDavid M. Chaunerは「誰かの不運での勝利は良いものではない かもしれない。だからといってみんながそう思う必要はない。」 アームストロング は落車の後、ウルリヒを捕まえてゴールでは40秒差をつけた。ウルリヒが自分 のリズムを取り戻すとアームストロングとの差はそれ以上開くことも縮むこともな かった。.  OLNで以前解説をしていたPaul Sherwenは「あの時のウルリヒはど んな気持ちだっただろう・・」と語った。アームストロングは落車したあとすぐにア タックをした。彼はウルリヒは待ったと信じている。そして彼にはそうする義務が あったと信じている。 OLNの解説者Phil Liggettはウルリヒは待たなかったと 信じている。彼がもしビアンキの監督だったらウルリヒに何を言ったか。 一瞬で 決断するには厳しすぎる決断だ。1998年ウルリヒがマイヨジョーヌを着て11ス テージの最後の登りにかかるときパンクした。その時パンターニは待ったしかし パンターニはそのステージを獲り、総合優勝も果たした。 今年、ベローキが アームストロングの前で落車したとき、アームストロングはベローキ避けて、 コースを反れた。誰も待とうとしなかった。理由は明確だ。ベローキにはレース を続けるのが無理だったからだ。 Sherwen は「『暗黙のルール』というより、 レースの中で 決断する方がいいと思う。」と語った。 これから何年も議論を 重ねられるだろう。

2003.08.03
地元でのクラッシックを前にwelt紙の日曜版でのインタビュー
Q:4度目の”ハノーヴァーでのナイトレース”優勝おめでとう。
Jan:ナイトレースはあんまりなれていないけどね。でも観客がすっごくもり あげてくれて僕も楽 しかったよ。
Q:今日はヘヴ・サイクラッシックだね。君のシーズン後半が開幕ってわけだね。
Jan:ハンブルクはとっても好きな町だし、レース後に魚料理を食べるのを 楽しみにしているん だ。ヘヴ・サイクラシックのあとにいつも食べているんだ。 コースはほとんど平らで僕に向い ているとはいえない。もし逃げ集団に加わる ことができれば僕にもチャンスがあると思っている。とにかく集団ゴールにならない ようにしなきゃね。
Q:ヘヴ・サイクラッシックのあとの予定は?
Jan:来週の土曜、日曜とクリテリウムを走って、17日にはチューリッヒ選手権 にでるよ。その 後はまだ未定。ルディ・ペフェナージュと相談して決めるつもり。
Q:ツールの後、オランダでのクリテリウムで勝って、ハノーヴァーで勝って・・・ 家族とはまだ一 日しか一緒に過してないんだって??
Jan :うん(笑)水曜に6週間ぶりに家のベットで寝ることができたよ。 娘のサラ=マリアと初めて一緒に寝たよ。真夜中に突然泣き出してね。 僕は全然平気だよ。逆にとっても誇らしかったよ。僕はだっこしたよ。 サラ=マリアはパパの前ではとってもお行儀がいいんだよ。
Q:恋人のガビーさんとは結婚について話したりする?
Jan:うん。もっとおちついたら僕らは結婚するよ。
Q:あなたの母親の家には行った?
Jan:まだ。冬に、サラ=マリアがもう少し大きくなったらいくつもり。
Q:ツール後、あなたは再び世間の関心の的になったね。 ファンはあなたの周りで叫んでいる
Jan:そのことに関してはとっても冷静な自分がいるんだ。あわただしい 雰囲気やものすごいストレスの中でも冷静でいる・・ ハノヴァーでは1時間、 サインをする時間をつくった。全部で2800枚くらいしたかな・・ あのつらかった 数ヶ月間のあとだからみんなの熱狂が逆に鎮静剤のように感じるときがある
Q:6回目のツール出場で5回目の2位だけど、がっかりした?それとも嬉しい??
Jan:パリでは2位に入ったことをもう喜んでいたよ。14ヶ月もブランクがあった んだからね。期待以上だよ。でも2度目のタイムトライアルはぜひとも勝ちたかった んだ。僕はちょっと運がなかっただけだよね。
Q:テレコムのヴィノクロフと並んで走っているシーンが多くあったね。彼は 「ヤンに見習うことがたくさんあった。」といっているよ。彼とは一緒にカザフスタンで 過すほど仲良しなんだって ね。彼の成長をどう思う?
Jan:もちろんヴィノの成功を嬉しく思うよ。彼はツールの間本当に強かった。 彼は自分でこの 成功をつかんだんだ。本当にすごいよ。
Q:アームストロングについては?
Jan:彼は優勝を繰り返している。本当にすごいことだ。勝ちつづけるってこと は本当に偉大なことだ。彼には敬意をもっている。
Q:アームストロングは来年6連覇を目差すといっているよ。
Jan:ちょっとまって。僕は来年のツールは全く違う方法で準備するつもりだよ。 アームストロングとは問題は生じていないし、お互いよく理解しているつもりだ。 でも来年のツールに関しては彼は注意すべきだよ。僕はベストの状態で挑む つもりだから。
Q:テレコムに戻るって噂もあるよね。それはどうなの?
Jan:テレコムとは一切話していないし、マネージャーともテレコムに関して話し ていなよ。僕は ビアンキがスポンサーをみつけて、これからもビアンキで走 れることを願っているよ。
Q:ビアンキの選手たちは喜んであなたのために走っていた?
J an:みんな積極的に好意を示してくれたよ。一度僕と走った選手はまた一緒 に走りたいって 思ってくれているよ。
Q:10月の世界選手権はどうするの?
Jan:まず何より、ドイツの代表としてドイツの為に走ることはとても嬉しいことだ。 でもまだ何ともいえない。世界選手権にはトップ・フォームだった場合のみ出場する つもりだ。プロトンで走るためだけにカナダまでいくのは僕にとって意味のないことだ。