2003/12/31

2003.12 News

2003.12.26今シーズンのハイライトとも言えるジャンプ週間が29日に開幕。
オーストリア勢がジャンプ週間を最後に制したのは4年前(ビドヘルツル選手)。 インナウアー氏が意気込みを語ります。
インナウアー・ノルデック部長「ヘルバルトはトップ3に入れると思う。もちろん
目標はとても高い。しかし彼にはその能力が充分にある。ヘルバルトは充分に 自信をつけている。モルゲンシュテルンは転倒による休止のあとでいきなり 素晴らしいジャンプをみせてくれた。ただ彼に関しては特に高い目標や プレッシャーをかけないつもりだ。予選を通過できれば充分素晴らしいと思う。
レピステ・ヘッドコーチ「ヘルバルトはとても調子が良い。他に、ビドヘルツルも
トップクラスのジャンプをするのではないか。」

2003.12.25 モルゲンシュテルン選手はジャンプ週間OK!
転倒による休止のあと、最初はフィラハの60m級、その後はゼーフェルト とノーマル、そして今ではラージを飛んでいる。「とにかくジャンプをするの を楽しみにしていたんだ。」17才の少年は笑顔をみせている。

2003.12.22
29日にOberstdorfで開幕するジャンプ週間。 開幕戦のチケットは今年も あっという間の売りきれ。オーストリアチームのメンバーが発表になりました。
Andreas Widholzl, Martin Hollwarth, Andreas Goldberger, Andreas Kofler 、 Thomas Morgenstern Florian Liegl, Martin Koch Reinhard Schwarzenberger
2003.12.15
第一ピリオドを終えた複合クロメシェクヘッドコーチ「17日~20日までサンモリッツ でトレーニングをする。その後はクリスマス休暇に入る。 クリスマスの後は ラージのトレーニングをしっかりして第2ピリオドに入る。」
ちなみに14日のプレダゾ戦でオーストリア複合史通算100度目の表彰台を達成したとか。。

2003.12.1
 1月17-18日に予定されていたスロバキアでの複合ワールドカップが キャンセルに。理由はスポンサーがつかなかったため。

2003/12/30

2003.12 News

2003.12.23
 12月20日 ヤン・ウルリヒは言葉を発さなかった。彼は自分自身を自転上 から表現するだけだ。受賞に関して発言やインタビューといったものはなかった。  ツール・ド・フランスはウルリヒの人生そのものを物語っている。いやウルリヒの 人生そのものだ。彼は世間の注目をあまりにも浴びすぎている。1997年の夏に ドイツで今年と同じような熱狂をもたらした。かつて、まだ23才だった若い赤毛の男 がドイツとスポンサーのドイツテレコムにセンセーションを巻き起こした。この若者は アンドラでマイヨジョーヌを獲し、そのままパリまで守りぬいた。毎日午後には多く の人がテレビにかじりついた。ロストクで生まれ、メルディンゲン村に住むヤン・ ウルリヒがドイツ人初のツール優勝者になったのである。 今年はチェレステと よばれるミントグリーンのジャージでツールを戦った。マイヨジョーヌも着ず、勝利も なかった。そして世界最高峰のレースを5度目の二位で終了した。ウルリヒという29才 の男の人生そのものをこのパリへの3427km道のりが語っていた。そしてこの 2位は「ウルリヒにはまだツールを勝つ力がある」という証明になった。 ウルリヒ はレンモンド・プリドールのような「エターナル・セカンド」では決してない。ウルリヒは 1度ツールに勝っている。かといってヨープ・ズートメルクのような選手でもない。 16回ツールに出場し、6回二位になり、1980年の優勝している選手だ。 ウルリヒ は二位で幸せだった。でも何度も何度もいっている。「もう二位にはなりたくない。 今度こそ完璧に準備して、ツールに臨みたい」と。今年は二度目の優勝にもっとも 近かっただろう。しかしウルリヒには3つの失敗があった。 処方された薬による トラブル、アタックにためらったこと、そしてツールマレーでの早すぎるアタック。  第4ステージ終了後の夜、ウルリヒは悪寒が走った。そして砂糖とプロテインを とることを勧められた。しかしこれがかえって高熱と腹痛をもたらした。ラルプ・デュ ・エーズでアームストロングから1分半遅れたときはリタイア寸前に追いこまれていた。  タイムトライアルの翌日のピレネーでウルリヒはアームストロングにアタックした。 結果、マイヨ・ジョーヌまで15秒まで詰め寄った。 決戦のステージ、リュザル・ ディランでアームストロングは観客の荷物に引っかかり転倒したこのときウルリヒは アームストロングを待った。そしてアームストロングは目覚めたかのような走りをみ てウルリヒを置き去りにした。彼はこの日最強の男だった。 この「待ったこと」に る代償は40秒だった。(+ボーナスタイム12秒)ウルリヒはアームストロングに 1分5秒差で最後の・・雨のタイムトライアルを迎えた。 19才の時ウルリヒは 最年少でアマチュアの世界チャンピオンになった。1997年のツールを優勝した後も ビッグタイトルをいくつも獲得している。シドニー・オリンピック、二度タイムトライアル 世界チャンピオン、ヴェルタ・ア・エスパーニャ総合優勝など。 そして今年の ケルン一周。まるで個人タイムトライアルを見ているかのような50kmに及ぶ 独り逃げ。 ウルリヒは今シーズン チームが消滅するという危機に見まわれた。 その後コーストに変わりチーム・ビアンキとして出場することができた。しかし ビアンキとはまだ給与未払い問題が解決していない。 毎年、毎年ウルリヒは 冬になると脂肪を蓄える。これは多くのドイツ人にとって解せないことだった。 そして2002年の夏には飲酒運転により免許停止処分、アンフェタミン陽性 による出場停止処分。ウルリヒはナイトクラブでアンフェタミンをとったことを認めた。 彼はフラストレーションが溜まっていた。いつになっても癒えない膝の傷み、手術、 彼は自転車に乗ることが許されずひたすらリハビリをおくる生活だった。その他 には何もなかった。チームメートや友人はみなレースに出かけていた。

2003.12.22
ドイツの年間スポーツ大賞を受賞したウルリヒ君

ハロー、ファンのみんな!
  僕は本当に言葉がみつからないよ。だってシューマッハーを差し置いて僕が 年間スポーツ大賞を受賞できるなんて全く思ってもみなかったから。 この名誉 ある賞を心から嬉しく思うよ。そしてみんなにお礼を言いたいよ。僕をいつも支え てくれた人たちに、僕を選んでくれた人たちに。 バーデン・バーデンのカジノで 行われた授賞式はいつものように完璧にオーガナイズされていたよ。ガビーと 僕は授賞式をとっても楽しむことができたよ。ガビーが僕と一緒に出席できたの はね。ホテルでガビーの両親がサラ=マリアの子守りをしてくれたからだよ。  でも長くはいられなかったんだ。僕らは翌朝には家に帰りたかったから。だって クリスマスの準備もしなきゃだしね。 僕は今日、トレーニング地のマヨルカから 戻ってきたんだ。トレーニングはとれも上手くいったよ。
ヤンより