2004/11/19

多分、僕はここにいなかっただろう(Berliner Tage Zeitung)

TZ:アンドレアス・クレーデンと休暇をすごしたんだってね。そもそも昔はそんな休暇は不可能だったんじゃない?
Jan:僕には想像もつかないことだよ。1989年までは休暇っていうとバルト海沿岸にいくことだったんだ。自転車を持ってね。一度ダラスに家族で行ったことがあるけど、ものすごい冒険だったよ。それ以上のものはなかった。後に僕はスポーツ選手として世界のあちこちに行くことを夢見るようになったんだ。メキシコやキューバでのトレーニング合宿から帰ってきたナショナルチームの先輩たちがいつも教えてくれたんだ。そこには太陽が輝いてるってね。そこには欲しいものがあるってね。だから世界のあちこちを見てみたいっていうのはスポーツ選手としての強いモチベーションだったんだ。だから今でも喜んで旅にでるよ。
TZ:ベルリンの壁が崩壊したとき、君はベルリンのスポーツクラブにいたよね。まさにその日の夜も自転車にのっていたの?
Jan:まさぁ。当時僕は寄宿舎に住んでいたから何が起こっているのかよくわからなかったんだ。ちょうどその週末にね、僕はロストク(実家)に帰りたかったんだ。S-Bahn でねBerlin-Friedrichstraße駅まで行ったらね。国境でパスポートの提示を求められたんだ。普通の国と同じようにね。そして僕は初めて西側に行くことができた。そして真っ先に銀行へ行って持っていたお金を両替したんだ。そしてシューズを買ったよ。
TZ:ドイツの統一が、君を育ててくれた東ドイツのスポーツシステムの崩壊になることへの恐れはなかったの?
Jan:そうは考えていなかったなぁ。1989年の秋はただただ熱狂していたなぁ。。当時学校で楽しい時を過ごしていたわけでもないからなぁ。そのときの歴史の先生がね、授業のカラキュラムを無視して過去の歴史について生徒たちといろいろ議論していたんだ。のちに東ドイツのスポーツシステムのドーピングが明らかになったよね。これはひどいことだよ。そしてベルリンのスポーツ学校も閉鎖に追い込まれた。僕は幸運なことにプロになるためのトレーニングを開始していた。ほんの数週間だけ、いろいろなことに追われていたけど後はずっと自転車に集中できた。
TZ:東ドイツのスポーツシステムは君にどれくらい影響しているの?
jan:全てにわたって。今日のシステムでは今の僕は存在していなかったと思う。まず最初に僕は発見されなかっただろう。僕のロストクでのコーチは僕をベルリンへ送り込んでくれた。加えて僕の母は僕のために自転車やその他のマテリアル、レーシングジャージを買うお金がなかったと思う。多分僕は陸上競技の選手になっていたんじゃないかな。運動靴が買えればいいだけだからね。
TZ:当時の選手としての目標は?
Jan:はっきりしていた。オリンピックでの金メダルとピース・レースでの優勝さ。ピースレースはポーランド、チェコ=スロバキア、東ドイツを走る最も大きなアマチャの国際レースなんだ。オラフ・ルードリヒとウヴェ・アンプラーが僕のアイドルだった。ツール・ド・フランスに関しては僕は何も知らなかった。東ドイツではオリンピックとピースレースが全てだった。だから2000年のシドニー五輪で勝てた時、子供のころからの夢がかなったんだ。
TZ:オリンピックがそんなに重要なものならば、どうしてアテネでは期待された成果を上げることができなかったの?
Jan:ただ僕がいけなかったんだ。僕にとってオリンピックは他競技の選手にとってのオリンピックの重要性とは違っていたんだ。もちろん僕はロードとTTの成績にとてもがっかりしたさ。と同時にプロの自転車選手にはたくさんの重要なレースがあることをアピールしたかったんだ。アテネに関しては残念ながら幸運に恵まれなかったよね。
TZ:東ドイツの選手としては大きな勝利はないよね。
Jan:とても残念に思っている。東ドイツのナショナルジャージを着てのチャンスが一度だけあったんだ。1990年の夏のイングランドでの世界選手権。当時僕は16歳だったけどポイントレースの代表に選ばれたんだ。最後のスプリントに勝てさえすれば世界チャンピオンになれたんだ。この最後の250メートルが僕を東ドイツの国歌から遠ざけたんだ。最後のカーブを僕をチームメートが引いてくれた。全ては完璧だった。最後の直線で加速しようとしたとき、他の選手が僕を押しったせいで、よけなければならなかった。それで4位だったんだ。 それ以降東ドイツの国歌を表彰台から聞く機会はなかった。その年の冬にシクロクロスの世界選手権にもでたけど、このときは統一ドイツの代表だったからね。
TZ:もし今でも東ドイツが存在していたらどうなっていたかな?
Jan:僕が選手としてのキャリアの終盤にいたか、コーチになっていたと思う。全て順調に行っていれば多分、ピースレースは勝っていたよね。他の全ての目標、世界選手権やオリンピックは東ドイツがなくても達成できるしね。だから僕個人的にも、そして国にとっても、この歴史の成り行きを嬉しく思う。
Tz:さて、君はまだプロ選手なわけだけど。。。2005年のツールのコースはもう学んだ?
Jan:まだよく見てない。でも僕はKarlsruhe と Pforzheim にツールがやってくるのを嬉しく思っている。そしてTTが少ないのはとても残念だ。ぱっと見ただけだけど、いくつかの非常に難しいステージもある。しかしレース自体はとても厳しいものだ。
TZ:ランス・アームストロングは来年の出場可否を明確にしていないね。
Jan:僕はスタートラインに立って彼がいないことを確認するまでは信じないよ。いつものことだよ。ランスの心理戦は。彼を倒してのツール優勝はより価値が高くなると思う。でも僕にとっては誰が出場しようがしまいがあまり関係ない。ツールで勝ちたければ、誰よりも早く走らなければならないんだからね。
Tz:今の体重は?
Jan:今のところ問題は全くないよ。週末からトレーニングを開始する予定。月末からはチームメートと南アフリカでトレーニングする。